~ Sherman ニーチェストセミナーとダブル"K" ~

来る9月19日、日本で熱いセミナーが開催される。

その名も

Toggle Machineになるために ~ Body Drop Double Toggle Toqueの継承 ~

講師はここであえて説明するまでもない方、

Japanese BJこと藤渕啓介先生だ。

このセミナーは

ターグル

ニーチェスト

Sherman


とカイロ業界ではマニアな要素満載にも拘らず、受け付け開始からたった"6時間"で売り切れた怪物セミナーだ。

そのセミナーに合わせて、藤渕先生嶋田D.C.が、Sherman仕様のニーチェストテーブルに更なる改良を加え、新たに製作されている。

Sherman式ターグルリコイルを継承、実践、発展させて来たお二人の"BIG IDEA"と、奥様方が嫉妬されるんじゃないかと思うほどの強烈なSherman愛!(爆)

それらが凝縮され生まれる最新のShermanニーチェストテーブル

そんな新・Shermanニーチェストテーブルへの大きな期待感と、

セミナー後、更に日本のObjectiveストレートカイロプラクティックが推進されて行く確信に、非常にワクワクしている!


続報が待ち遠しいな~








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         ニーチェストのプレート。真紅のダブル"K"がニクイ








Shermanニーチェストテーブルの詳細は、藤渕先生のBlog嶋田D.C.のBlogで随時お知らせがあると思うので、そちらをご覧ください。


セミナーに関するお問い合わせは、主催者であるADIOカイロプラクティック代表・坂本剛先生までご連絡ください。

Tel:03-6806-2388

セミナーWebページURL:Shermanニーチェストセミナー











「情熱には、何かを生みだす力がある!」

 by Japanese BJ

~ 日本市場へ ~

新学期開始から最初の週末。

友人のジェリドと初めて日本市場に行って来た。






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 日本以外にも韓国やタイの市場があり、キムチやタイカレーの素みたいなのが手に入る。





久しぶりに見る"大人のふりかけシリーズ"や"麺つゆ"、"日本米"なんかもあり一人で大興奮。

更にはレジのおばちゃんが同郷の北海道出身という事もあり、異国アメリカで"道産子話し"が出来てとても嬉しかった。





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       "SAMURAIソース"なるものがあった!味が気になる。




その後晩飯がてらバーベキューレストランに立ち寄り、ジェリドお勧めの骨付き肉を注文。

来たのはやっぱり"アメリカンサイズ"の骨付き豚肉だ。







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              よだれを誘う秘伝ソースの骨付き肉。



もうソースがかかってんのにも関わらず、更に甘口、辛口、中辛、秘伝の4通りのソースから好みでかけて食べるらしい・・・どんだけ濃口なんだアメリカン(爆)







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       手がベタつこうが、鷲掴みで食べた方がやっぱり美味い。






日の沈む帰り道、トレイルコース(けもの道みたいなの)があったので寄り道した。

デカい蜘蛛の巣に引っ掛かりながら川を越え原っぱに出ると、沢山の蛍たちが光り輝いていた。

流石豊かな自然溢れるサウスカロライナ。こんなにも沢山の蛍を見たのは初めてだ。

こっちの蛍はまるで火が燃えるようにオレンジ色に光る

だから英語では"ファイヤーフライ"と呼ぶんだろう。



家に着き、購入した日本の味噌やそばを眺めてると無性に日本が懐かしくなる。

しかしこれからは、やっと温かい味噌汁と白飯の朝ごはんが食べれる!

そこに"納豆"があればもう言う事ないんだけどな~








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         本日の戦利品たち。そばをゲット出来たのは嬉しい!












「経験というのは、単なる時間の積み重ねではなく、人を感じる目であったり、耳であり、皮膚感覚なわけだ。」

 By 松田優作(日本の俳優、歌手)

~ ある青年の物語 中編 ~

私は何を言われたのかしばらく考え、どもりながらも「一体どうやって?」と尋ねた。
「ワタシはそこで生まれたのだ。」
「では何故これまでその事を知らなかったんだ?」
「誰も知らないさ。そのことに気付くまで。」とその声は答えた。
「あなたは他の人達の魂の中にも居るのか?」
「皆の中に"ある何か"は居る。それは山を動かし、海を乾かす事も出来る。」
「あなたは信仰だろう!」
「そうだ、」と答えが帰って来た。
「ワタシは信仰だ。が、ワタシはそれ以上だ・・・人々を地獄の業火に立ち向かわせ、打ち勝たせる程の存在。」
「あなたは信用だろう。」
「ああ、ワタシは信用以上だ。流れる小川を持ち上げ、世界にさざ波を起こす程の存在。」
「ではあなたは力だ。」私は泣いていた。
「そうだ、だがワタシはそれ以上のものだ。」声が答えた。
「ワタシは哀れな失敗者を自身で奮い立たせたり、そしてこの世界を支配する存在だ。」
「あなたは大望ですね、今分かりました。」
「そう、ワタシは君の言う全て。信仰、信頼、力、大望、そしてそれら以上だ。全てを超えた"ある何か"だ。ワタシは人々がその魂の中から見出すべきモノ、でなければこの地球に広まるべき存在。」
「しかしどうやって人はあなたを見出せるのでしょうか?」
「実際君は今ワタシを見付けてるが。まず目覚めること、そして探すことだ、そして見付けたらコントロールする為に学ぶことだ。」
「何をコントロールするんですか?」私は尋ねた、混乱していた。
「"ある何か"さ・・・魂からそれを借り、それで人生を清めるんだ。目に焼き付けるんだ、それを見れるように。耳にすり込むんだ、それが聴こえるように。心に刻むんだ、そうなるように!」
「しかし教えて下さい、」私はもう狂ったように泣き、その声は消え入るようだった。
「どうすれば良いのですか?どのように?どうやれば?」
「それは秘密だが・・・」声は優しいそよ風のように囁いた。
「"そうする"ことさ。」
そうして私は目が覚めはじめると、男が荒々しく私を揺すっていた。「ここから出てくれ!俺達は浮浪者にタダで下宿屋を提供してるんじゃないんだ。もし寝たいんならパジャマでも着な、だがこの外でな。」
「"そうします"。」考えも無しに答え、ドアに向かった。
"そうする"・・・
この言葉はあの夢を鮮明に思い出させた。私は出入り口に立ち、外に降る雨を見つめていた。1ダース程の包みを持った少年が、私の傍で荷を持ち直そうと立ち止まった。「手伝うよ。」私はそう言い、快く彼の荷を半分持ち、共に道を下って行った。「おや、ミスター、。どのくらいこの道を行くんですか?」「君はどこまでこれを運ぶんだい?」私は尋ね、彼は教えてくれた。「私もそこへ行くんだ。」私はわざと驚き答えた。私たちは道中を急いだ。

頭上の雲が晴れ始めた。半分程歩いたあたりで太陽が出始め、少年が面白そうに笑い、「お!ミスター、明日は良い天気になりそうじゃないですか?」と言った。
「"そうするよ"。」私はぼんやりと答えた。彼は私の答えに驚いたように私を見上げ、先の質問を思い返し怪訝そうな顔を向け、無言の中歩いた。

彼が荷を届け、戻って来た時、無邪気な少年のように私に尋ねてきた。「ねえ、ミスター。何処で働いてるんですか?」「どうしてだ?私は今君の為に働いてるんだ。良い働きだったろう?」「けど、定職には就いてないんですか?」「うん。"そうするよ"。」私は強く答えた。再び彼は怪訝そうな顔を私に向け、歩を速めた。私たちは一緒に、彼が働いている町一番の大きな倉庫に向かった。急いで後ろの戸口を抜けると、大きな部屋に出た。男が私に歩み寄り、何の用か尋ねてきた。「仕事をしに来ました。」「どこの所属だ?誰がここへ送ったんだ?」梱包箱があり、多くの人がそこにいた。私が質問に答える前に、誰かが彼を呼び、彼は去って行った。私はコートを脱ぎ、釘に掛け、傍に居た人の真似をして働き始めた。30分後、さっき私に話し掛けてきた男が「おお、こいつらがあんたを俺が出掛けてる間に入れてくれたんだろ?」と言ってきた。「頑張ります。」私は釘をドンと打ち込み答えた。そうして6時ごろまで働いた。外の陽は輝いていた。6時を知らせるベルが鳴り、男達は並び始めた。「何の時計ですか?」とベル担当の男に聞くと、「彼らはあんたにナンバーくれなかったのかい?」「はい。」私は名前を告げ、彼はナンバーをくれた。そうして私は退勤を済ませた。少年がドアの所で私を待っていた。「どうやって仕事を貰ったんですか?」彼は興味あり気に聞いてきた。「それは私が来る前から保障されていたんだ。」「誰が?」「"ある何か"さ。」それが私の答えだった。「もう、からかわないでくださいよ。どうするんです?今朝沢山の方がこの仕事を貰おうとしましたが、全員断られましたよ。」「だがね、」私はにやけて言った。「彼らは"ある何か"を見付けられなかったのさ。」少年は再び怪訝そうな顔で私を見た。

「何処に住んでるんです?」彼はやはり尋ねてきた。「今から探すんだ。」「まあ僕のお腹は宿舎まで持ちますし、何で私の所に来ないんです?」そこにはもう一人下宿人が居て、その男は近くの教派大学で複数の科目を担当する教授だった。彼は顔の毛がボウボウなのに、そのくせ髪の毛は気持ち程度しかない小男だった。薄い眼鏡がくちばしの様な鼻に留まっていた。目は小さくて黒い、まるで靴ボタンだ。その彼が、食事を取る私を見た。食事を終えて、彼は私を彼の部屋に招いた。「君が詮索されるのを気にしない人だといいが、ただ君のことを理解したいんだ。」「何ですか?」「僕は君が社会学の学生ではないかという結論に達したんだ。」私は笑ってしまった。「ボビーが言うには、君は彼の倉庫で包装箱を下ろしていて、」私はうんと頷いた。「当然そこは労働者の質を調査する場でもある。」「まあそうですね。」私は同意した。「今、僕はその質に興味があってね。手伝ってくれないかな、その題材で一連の論文を書いているんだ。答えて欲しい、頼むよ。何が出来ない人間にさせているのか?上位10名が持ち、以下10000人が持たない何かとは?」」「勿論それは"ある何か"ですよ。」と私は答えた。「どういう意味だい?教育か?環境かい?」

私の心に少年時代の光景が浮かんだ。私は市街区ビル最上階の自分の部屋が見えた。布を敷き詰めた箱に眠る自分を路地で見た、そこは川上の蒸気船近くだった。そう、私はまるでどら猫やドブネズミのようだった。私は自身が、5人の継母と自然科学に没頭する父という環境に置かれていたのが見えた。働いて僅かな収入を得て、学校には通っていなかった。その時、瞬く間に場面が変わり、私の周りには100人程の男達が冷たく硬い床に横たわる酷い部屋が見えた。「違う、」私は考え込んで答えた。「こんなのは違う。"ある何か"はこれらとは全く異なるものだ。それが何か正確には知らないが、私はそれを見つけ、突き止め、あなたにそれについての多くのことを伝えよう。」私は彼の顔を見ると、彼はボブのように難しい顔をしていた。そうして互いに承知の上で話題を変え、他愛無い話しをした。一週間以上だろうか、私は梱包や釘打ちをしていた。良い荷造り人になった。私は常に"ある何か"と共に仕事をした。

ある日、船積み係が手に余るほどの仕事をしていたのに私は気付いた。そこの部署には手が空いてる者達が居た。その船積み係が荷をチェックするまで、彼らは何も出来なかったのだ。私はハンマーを置き、彼の傍まで行き言った。「午後、私が手伝いますよ。」彼は私を見ると、「おお、」と驚いた。「いや、助かるよ。彼らもやっと僕に手を貸してくれる人を探す気持ちを持ったんだな。」彼は書類の束を私に渡し、机のある部屋に案内した。部署の管理者はその時間部屋には居なかった。やがて管理者が戻って来て私を物珍しそうにチラリと見た。「彼らが君をディッキーの手伝いによこしたのかい?」と彼は言った。私は彼を見ずに肩をすくめ、計算を続けた。夜にその部屋を出た時、その責任者も一緒だった。彼は「しかし、私はどうして君がここに来たのかは分からない。どんな考えで来たんだ?仕事を通してビジネスでも学ぶためかい?」と言った。「そうですね、」私は確信を持って答えた。「ただそれだけです。私はここで、その全てを学ぶんです。」「そんなとこだろうと思ったよ。うちの誰と関わりがあるんだ?」「今それをお話しすることは賢明ではないと思いますよ。」これが私の答えだった。「ああそうだな、別に詮索しようという訳じゃないんだ。何か私に手伝えることがあれば言ってくれ。」彼は急くように言い、去って行った。

船積み係は活発な若い男だった。私は彼を好きだったし、彼もそれは同じだった。ある日、初めて昇給した給料を私が受け取った少し後に、彼が問題を抱えやって来た。その夜、私は彼と座り、その問題に一緒に取り組んでいた。私たちはすぐに毎週一晩、共にその方式を研究することが習慣になった。彼が独創性に欠けると、私は彼を手助けした。彼のしてきた事は、正に彼の前に居る男(私)のようだった。事業は実際2倍近くまで急速に成長して行った。私たちは進歩した方式を作り出したのだ。私たちは計画した詳細を全て書式として作成した。ある日、彼が我々の計画を、権限の有る人物の元へ持って行った。そこで彼が良く理解していない質問が上がり、私が送られた。私の交渉は、道路の一角で"あの男"に食べ物を求めた鼻たれ乞食からは、大きく違うものになっていた。権限を持つ"あの男"が私を見て驚いた。「誰だ?」私は自分の名刺を彼に手渡した。「梱包をやってるのか?」彼は驚き尋ねた。「梱包所にいます。一時的にですが。」そして船積み係の計画の詳細を読み返し、「良いと思う。朝にはプリンターへこれを送信しよう。」とその権限を持つ男は言った。私たちがオフィスを出ようとすると、男が私を呼び戻した。「どれくらい働いてるんだ?」「63日です。」と答えた。「十分だな。もう学べることは無いんじゃないか?どうだ?」「いや、」彼は私をしばらく黙って見ていた。「面白いやつらが君について話してたな、」半分自分に言うように彼は言った。「君のお父さんの考えは、君が自信を救う為だったんだろう。そうだろう?」「まあある意味では、」私は返した。「どんな人でも、成功は最終的に内にある"ある何か"から起こるものです。」彼はそれをしばらく考え、いくつかの言葉を紙に走り書きした。「これを明日の朝、監査部のパーキンズに持って行くんだ。そこで君がどうするか見せてもらうよ。」私は礼を言い、部屋を後にした。「そうだ、」彼は私を呼び戻し言った。「私がお父さんに言ったことは忘れた方がいいだろう。結局、それは僕の関知するところではないからね。」「確かに。」私は答え、部屋を出た。

3ヶ月後、私はボブの母の下宿所を出た。辛かった、彼女は私にとって母親のようだったのだから。そこの生活で、私は愛を学んだ。少し毛むくじゃらな教授と彼の空想のような学説が私は好きになっていた。しかし"ある何か"が私を突き進ませた。私は丘に上り、そこの静かな下宿で宿を取った。そこは権限を持つ男に勧められた、その男の下宿だった。そう、私たちは知り合いになり、友人となり、そして彼は二度と私が「ビジネスを学んでいる。」と言うことに言及することは無かった。



後編に続く。









「彼らは大志を持ってここへ来た、汗をかいて勉強した、インスピレーションを持って卒業した、そして満了を以て実践したのだ。」

 By B.J.Palmer

~ 枠を突き破る ~

今日はマスター・トムと日本食レストランでランチを取って来た。

トムは特別新鮮なネタで握った寿司が好物で、その中でも"たこ"が大好きだ。





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         寿司を手に、満面の笑みをくれたトム・ジェラルディ







話しはカイロプラクティックケアとしてのリサーチの在り方へ。

リサーチでは何故、"~病"や"~の症状"に効果が見られたとの記載が多いのか?これではまるで、"治療効果"に関するリサーチと同じようなものではないか?という話になった。

当然それを研究するべき分野は、"医療"にカテゴリー分けされるだろう。

カイロプラクティックは"医療では無い"し、カイロプラクターが何かを"治療する、治す"訳では無いので、測る物差しを間違えてるんではないかと。

トムはカイロプラクティックを、"医療"や"健康"という枠から出したいと常々言っている。

しかしそんなリサーチを繰り返してる限り、枠から出るどころか益々自らの職業を狭めて、歪めて、押し込んで行くことになると思う。

そしてそんな典型的なケースを、彼は教えてくれた。


「以前、ある男性がオフィスに来た。彼は"左半身が麻痺"していてね、結局回復したんだがそれ以来オフィスに来なくなった。数年後にまた彼は訪れて来た。そして"以前のような症状が出て来て、病院で治療を受けても良くならないからまた来たんだ。"と私に言ったんだ。それは要するに、彼にとってカイロプラクティックとは、"医療と同じ"という認識なんだ。あっちがだめだったからこっちへという風に、同じ括りにされている。必然的にその人の紹介で来る方というのは、同じ"症状"を持ってる人だったよ。」


トムはまず、今なお科学的根拠を求められている"脊椎サブラクセーション"という状態の明確な証拠を社会に提示すること。そして"アジャストメント"がどのようにサブラクセーションを解消し、かつクライアントのライフに影響するのかも同様に証明すること。それらが"カイロプラクティックのリサーチ"で優先させる事項であり、そういう意味では"ミキサー"達が上記のことを指摘する事は頷けるのだという。


"何ちゃら病"や"何とかの症状"という記載を自身のホームページやブログから排除し、"脊椎サブラクセーションを取り除く"という事が、そのクライアントの人生にとってどれだけ価値が有る事なのかを発信、実践してるカイロプラクターが沢山居る国を自分は知っている。



日本だ



そんな日本産"Objective Straight ChiropracTOR"達の話しをトムにすると、彼は目をキラキラさせて何度も頷きながら喜んでいた。

そんな意識を持つカイロプラクターがこっちでも増えて行けば、きっとアメリカも日本と同じように流れを引き起こせるはず。(ノリ良いだろうし。笑)

そしたらリサーチの内容もおのずとワクワクするようなものになるだろう。


カイロプラクティック発祥の地でも、日本の様な"BIG MOVEMENT"を起こしましょう!マスター・トム!!









「原因の原因が、原因である。」

 By Thom A. Gelardi(Defender of ChiropracTIC)

~ カード被害 ~

先日シティバンクから連絡が入った。

どうやら自分のキャッシュカードを偽造され、口座から金を引き出されたようだ。

その担当者によれば、日本と比べ海外のカードスキャニング(例えばマイクロビデオをATMに設置したりしてカード情報、暗証番号の読み取りを行うこと)のレベルはかなり高いのだと言う。

幸い今回の損失分は補填してくれるそうだが、預けてた額が少なかったからまだ良かったものの、学費など"大金"を預けてたらどうなっていただろうか・・・

そういえば、友人もモントリオールで同じようなカード被害に遭った事があった。

北米やヨーロッパなどの"カード大国"へ旅行に行く人は、トラベラーズチェックを利用したり、念の為帰国後に暗証番号を変えたりした方が良いのかもしれない。


カードはとても便利だけど、その情報を悪用されるとリスクもデカい。

お金を出し入れしたり、借りたり、パソコンにカード情報を入力して買い物したり、機械に通すだけで簡単に決済が出来たり。そんな"カード生活"に慣れ過ぎて、見過ごしてきたリスクを、今一度見直す良い機会だったように思う。








「貯蓄十両 儲け百両 見切り千両 無欲万両。」

 By 邱永漢(日本および台湾の実業家、作家)

~ ある青年の物語 前編 ~

名前が文中で出て来ないが、これはカイロプラクティックの偉大なる"発展者"の物語。

彼が"ある何か"に気付くまでの半生を追っているようで面白かった。


和訳してみたので、興味ある方はご覧下さい。

※和訳には私的な解釈も含まれています。原文はこちら←クリック




その時ランドルフは振り向き、

「なあ、私たちにしてくれた話しを本に書いてくれ。書いてくれれば人々はそれを読むだろう。世界にそのメッセージを送るんだ。もし人々がそれを記憶に刻み込むまで読んで、読み返せば、或いはもし君のメッセージを人々が信じ、そして彼らの魂の中に眠っているそれに気付けば・・・そうだな、もし君が人々をその事に目覚めさせることが出来れば、君は人類に対して、何千もの人間が何年も何年も掛けてやってきた以上のことを成し遂げるだろう。書いてくれ、ここで君が話してくれた言葉そのままに、全ての人がそれを読むだろう。書いてくれ。なあ、書いてくれ。」


そして私は、それを書いたのだ。


~ THE STORY OF "THAT SOMETHING" ~


これは遠い昔に起きた事だ。

私は、ある男に逢うと必ずあの日の事を思いだす。

空は泣いていた。
明るさの無い、何とも冴えない空だった。
私は宇宙が泣いているのだと思った。
それは自分の見解だった。
その時期は苦痛だった。
人々は失業していた。
私もその一人だった。
その夜は冷え込む前に、街の牢獄の冷たいセメントの床で眠った。私は追跡が徒労に終わり、疲れ果てた犬のように眠った。その晩の前は、自身の見栄でそこから遠ざかるように、歩きに歩いた。そして漠然と食べ物と寝床、そして仕事を求め彷徨った。しかしそんな事は永遠には続かなかった、その夜私は牢獄の狭い道が低い為よろめき倒れて、100人近くの人間が居る閉ざされていた独房に入ってしまった。私は、固く冷たい床の上で死んだ者の上に倒れた。しかしその夜の出来事のようなことが独房では続いたのだと、あなたは理解するだろう。けれど私の人生はその日の為にあった。その時私は、"ある何か"を見付けたのだから。


私の足は酷く疲れていた。心はこの空のように泣いていた。私はまるで、荒野に一人佇むように大都会の大通りの隅に立っていた。その時、一人の男が私の傍に立ち寄って来た。彼は私と同じ位の背丈と体格だった。私は彼の顔をちらりと見た。そしてこの男は私自身のようではないかと考えた、もし・・・いや今はこの考えを打ち消す事が必要だ。私は彼の腕に手を置き、ただ「私は空腹です。」と言った。彼はゆっくり振り向き私を観た。最初彼の視線は、ずぶ濡れの帽子からひび割れた靴に至るまで、私の身なりを注意深く捉えた。そして彼の眼は、そのまま私の瞳を通して私の心まで探るようにも思えた。私は気恥ずかしく感じながら立っていた。今考えると笑ってしまうが、それは今は"その時"ではないからだ。間もなくして、「さて、君はもうウンザリしてるんじゃないかな、どうだい?」と彼は言った。私は片方の足に掛かっていた体重を、疲れていない方の足に移した。

しばらくして、「仕事を探しています。」と呟いた。「探してるのかい?」と彼は聞いて来た。「はい、まぁ・・・でもチャンスは少ないでしょう。今は人を雇いたいなんて人もいませんし。でもやります。今はそんなこと気にしてられませんから。食べるものが欲しいんです。お腹も減っています。助けてもらえますか?」と私は尋ねた。「それは出来ない。」と気の毒そうな声で彼は答えた。「私は君を助ける事は出来ない。誰も出来ない。」私は、「でも食べ物を恵んでくれることは出来るんじゃないですか?」と少し不機嫌そうな声で言った。「君に必要なのは食べ物じゃない。」と彼は告げた。「じゃあ何なんですか?」私は尋ねた。「ある何かだ。」とだけ彼は答えた。一人の男が彼に付いて行った。彼らは共通して興味の有ることを話し始めた。私はシトシトと降る憂鬱な雨の中を、足を引きづりながら歩いて行った。その時彼は私を呼び戻して、名刺を手渡した。「"ある何か"を見付けるんだ。そしてそれを見付けたら、私の所に来てくれ。」と彼は言った。「何の為にですか?」と尋ねると、「私に礼を言う為さ。」とだけ答え、彼らは去って行った。


二つの言葉が記憶から離れない。

"That Something!(ある何か)"

私は不思議に思い始めていた。玉突き場に移り、椅子を見付けた。そこに座りまた考える。私の前にあるテーブルで、男達がその場の楽しみを無駄にしまいと玉を突いていた。ずいぶん長い時間、私は座っていた。行くところなど何処にも無かった。私の頭に、牢屋で過ごした一夜が過った。しかしこの日はあの夜より長く感じた。あそこは温かい所だった。カツン、カツン、カツンと玉を突く音がする。時折大理石の床にゴツリとキュー(玉突きの突き棒)の当たる音もした。この時間はまるで単調で面白みの無いコーラスのようだった。そして私は眠りに落ちた。

私は神を信じる。奇跡を信じる。そして先見的なものも信じる。しかしそれは、私が夢に見てきた"ある何か"であり、自然なことだ。もしかしたらそれは、奇跡や先見的なものではない。あなたはバカげた夢だと思うかもしれない、しかしそれが私の人生を変えたのだ。それだけでもこの話しをする理由となろう。あなたはそれをせせら笑うかもしれない、その時私の夢はあなたにとってつまらないものになるだろう。あなたは私が見たものを見るかもしれない、その時あなたは人類の主と代わることだろう。私はその事に目覚める夢を見た!それは自分が長い間眠っていたことを理解した、最も素晴らしい瞬間だった。玉突き場で眠る自分自身も見えた。そして自分を見始め、目が開いた、そんな自分を見ていたという夢を見た。

「何で目覚めるんだ?」

私は夢に尋ねた。

「お前は自分で起きたんだ。」

近くで声がした。

振り向いたが誰もいなかった。

「誰だ?」

「私は"ある何か"だ。」と答えが返って来た。

「だが何処に居るんだ?」

「私は君の魂の中に隠されている。」





中編につづく・・・








「今日我々が考え、述べ、行う事が、どれ程のものに達するのかは知らない。しかしそれは明日、無数の生命に影響を与えるでしょう。」

 By B.J.Palmer D.C.,Ph.C.

~ アトランタへ ~

先日、Dynamic Essentials(略してDE)という組織のカイロミーティングに初めて参加して来た。

場所はジョージア州アトランタ!スパータンバーグから車で約2時間半の所に在る。ここに来て早8ヶ月。高層ビルの群れや車の渋滞などを忘れかけてた自分にとって、アトランタは大都会だった。


Life大学を創設した、故 Sid E. Williams D.C.を中心に設立されたDE。

朝8時頃から夜の11時過ぎまで、立派なホテルのセミナー会場で、多くのスピーカーがカイロプラクターとしての自身の人生観、DEやDr. Sid がもたらした影響なども話してくれた。

内容的には"博愛"や"神の恩恵"についてのスピーチが多く見られ、中には感極まって涙を見せる人もいた。

一斉に掛かる独特の掛け声や熱気は、何だか自己啓発セミナーのようだった。






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              オリンピック百年記念公園にて







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                 洒落た池もある







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                躍動感が伝わる!







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           園内には花が沢山植えられていてカラフルだ







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                  園内の花々








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                DEが開かれたホテル









ミーティング後はホテルで一泊し、次の日はアトランタのダウンタウンに行って来た。

アトランティック・ステーションというショッピングモールには、多くの飲食店、服屋や美術館、オフィスビルにホテルなども周りに在りとても充実していた。

アイス屋に入ってみると、賑やかな内装に、歯が痒くなりそうな激甘必須のお菓子たちが並んでいた。

そこの店員さんは韓国人の女性で、自分が日本人だと答えると、折角アメリカ来たんだからと、アイスの試食をガンガン勧めてくれた。

自分の一番好きな味は"バニラ"なので、"オールドバニラファッション"なるものを味見したいと言ったが、

「え~?バニラ??そんなのどこでも食べれるでしょ!」と言われ速攻で却下。

その後はチェリーやシナモンチップ、ピーチと沢山の味を試食させてもらった。特にフルーツ系のアイスはどれもさっぱりしてて美味い!








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            気の良い店員が居るアイス屋 "Kilwins"







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                "JUSTICE"と刻まれた像







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                 モール内の建物







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                 ミニ機関車








その後も観覧車に乗ったり、アメリカのイケアにも初めて行けて、アトランタの街を大いに漫喫。


水族館や、大きなドーム。ショッピングモール、クラブに美術館と、遊び場が沢山ある大都市アトランタ。


街の人も気さくだし、また遊びに来たい良い所だ。







「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。」

 By アインシュタイン(理論物理学者)


プロフィール

ISOBE HIROFUMI

Author:ISOBE HIROFUMI
米国のストレートカイロプラクティック大学、シャーマンカレッジへ留学中。

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